小林 寛明(靴職人・デザイナー)
自分の足にピッタリ合う、自分のためだけのオリジナルの靴を1度は作ってみたい!と、誰もが憧れるのではないでしょうか?
そんな夢を実現してくれるのが、靴職人・デザイナーの小林寛明さん。
京町堀界隈、そしてデザイナー業界では有名人!?と思うほど、お会いする前から小林さんの名前は、いろいろな方からお聞きしていました。
実際お会いしてお話してみると、笑顔が素敵で、柔らかな印象。「これ僕のハイヒールなんです」と、かなり高価なオーストリッチ革の、男性のハイヒールを見せてくれました(笑)
やはりデザイナーらしいというか、職人らしいというか、独特な感性の持ち主。
そんな小林さんだからこそ、一人ひとりに合った靴を、その人に寄り添いながら作り出すことが出来るのではないかと感じます。
小林さんはなぜこの世界にいるのか?そしてどの様に作品が生まれ、今どの様なことを考えているのでしょうか?
靴職人・デザイナーになられたきっかけは何ですか?
ーースニーカーが好きでした。90年代、格好良いスニーカーが次から次へと出てきて、バイトしては色んなブランドの靴を買っていました。そのバイト先もスニーカー屋さん。
靴を作ってみたいと思い、この道に進みましたが、この道は革靴を作る世界でした。スニーカーは工業製品、手作りで作れるモノでは無かった。そのままズルズルとこの道を歩んでいます(笑)
メーカーで靴を学び作っていましたが、リーマンショックで会社は閉めることに。師匠から独立しろと。そして注文靴を始めることになりました。
あなたの経歴を教えてください
ーー高校を卒業して、服飾専門学校へ。
靴の企画販売製造会社に就職して、靴を学びました。
靴作りの中で、革を扱っているので、鞄の製作や革小物も頼まれるように。
大切な人生の先輩がインテリアへの道も示してくださいました。
今までで一番、影響を受けた人は誰ですか?
どのように影響を受けましたか?
ーー勤めた会社の社長の影響が大きいと思います。
可愛いデザインをしていました。パッチワークで色とりどりの模様や可愛い動物を作り出していました。昔は沢山あったみたいです。
色を沢山使うと裁断や糸の色も変えたりと製作が大変になるので無くなっていったとお聞きしました。その時、販売もさせてもらっていたのですが、
お客様がその靴を履くと明るくなり元気になるのです。
私もそんな靴を作りたいと思いました。
今までで一番、思い出のある作品は何ですか?
ーー沢山あります。初めの頃は足に合わなくて残念がられた事もありました。車椅子の少女の足元を飾るカバーを作り学校に行くのが楽しくなったと。
後天的に足が変形し歩くのが辛かったが歩けるように。
インテリアのお仕事で自分の技術が必要とされた事。
両手を広げて抱き合って一緒に喜んでくれたり、泣いてくれたり、胸を張ってくれたり、無反応だったり、出来上がったときの反応はそれぞれですが、自分の反省も含めてお客様と共有出来たその瞬間はどれも大切な経験で思い出です。
作品作りでこだわっていること、心掛けていることは何ですか?
ーーていねいに丁寧に、ひとつ一つ、貴方の為に、心を込めて、人生に彩りを与える様に。
作品はどのように生まれますか?
ーーお客様と対話をして生まれてきます。お客様の望む形に少しの驚きと、少しの拘りと、少しの挑戦を。
行き過ぎても駄目。行かな過ぎても駄目。お客様の半歩先を見つめて共に歩いて行きます。
作品が作られていく過程を教えてください。
ーーお客様と話をし、形を決め、色を決め、型を作り、見本を作り、修正し、本番に臨む。
これから挑戦したいことはありますか?
ーー世界中には色んな革を使ったモノがあります。私も靴や鞄だけでなく、色んな分野に自分の技術や知識を持って挑戦したい。そして、自分の靴を作ってみたい。多くの人に履いてもらいたい。その為のブランドを持ちたいです。
これから自分自身に期待することは何ですか?
ーー革を扱う者として、革の良さを広め、使い方を知ってもらい、沢山の方に革製品を長く大事に使ってもらえる様なモノを作っていきたい。
そして、革の相談をするなら小林にと思ってもらえる人物に。まだまだ道半ば、覚悟を持って臨みます。
あなたにとって靴職人とは?
ーーたかが靴、その中に喜怒哀楽があることを知りました。
物づくり全てに共通することだと思います。
靴から変わる人生もある。
責任を持ってお客様に捧げていける職業だと思います。
そしてそれは、自分に前を向く勇気と誇りを与えてくれる職業です。